じゅんぽっぽ☆

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【信用はなぜお金になるのか?】

こんばんは、じゅんぽです。

今日は信用について少し考えてみたいと思います。

 

インターネット、特にSNSの発達によって、信用という言葉が幅を利かせてきています。気づいたら「信用経済」なんて言葉もよく目にします。信用経済の意味についてはあまり突っ込みませんが、要はその人の信用力、影響力がお金になる、またはお金の換わりになるといった意味です。

 

ではなんで信用が換金できるのでしょうか?

 

そのためには、まず信用とは何かを考えてみましょう。

信用の意味を考えるために信用が活きるシチュエーションについて考えてみます。

例えば、身近で信用できる人、ここでは家族とします。その信用のおける家族と住んでいる場合、基本的にその家族は自身の財産を侵害できる状況にあります。例えば、自分が寝ている時や、お風呂に入っているとき、家族はその気になればあなたの財布からお金を盗むことができるわけです。しかし、これは一般的な感覚とは一致はしません。なぜなら、普通家族はお金を盗もうとしないからです。そして、あなたはそれを強く信じているからです。

(これは信用という話以前に社会通念みたいなものですが、)要は家族に対してはものすごい信用を抱いているわけなのです。その信用力の結果、自身の財産を無防備に晒すというリスクを平然ととっているわけですね。

 

他の例でも考えてみましょう。例えば、あなたが贔屓にしている作家がいたとします。つまり、「その作家の書く本はおもしろい」という信用を抱いているわけですね。もしその作家が新しい本を出したとしたらあなたはどうしますか?明日の生活も厳しいぐらい金欠ではないのなら普通買いますよね。なんならお金がなくても、友達に借金でもして買うかもしれません。

 

さて、以上二つの例を挙げましたが、二つの事象には共通点があります。

それは「意思決定の結果、リスクを負うことになる」ということです。

一つ目の例では、既に少し触れていますが財産を盗られるというリスク、二つ目の例では払ったお金に見合った効用が得られない(つまり思ったより面白くない)リスクを負っているわけです。これを踏まえると信用とは何かがなんとなくわかってきます。

 

信用とは「リスクテイクのされやすさ」だと言えます。

つまり信用はリスクが生じうる場面で初めて意義を持つわけです。リスクが生じないような場面の意思決定に信用なんて必要ないのです。別にお腹がすいたときに食物を食べることに対して信用は必要ないのです。食べればお腹が膨れるのは自明なのですから。

しかし、何を食べるかについては信用が影響してきます。例えば、メーカーに気を遣う人であれば、どこの会社で作られたのかはすごい大事なわけです。そういった人は基本的に信用しているメーカーが作ったものを買って食べます。つまり数あるメーカーの内、特定のメーカーに対して一種の与信をするわけです。

 

さて、信用とは何かについて書きましたが、これを踏まえると信用がなぜお金になるかは自ずと見えてくると思います。

つまり、「信用力が高い状態であれば営業活動をほぼ必要とせず、その信用している人がモノ・サービスを購入してくれるのです。」

 

先ほどの作家の例がわかりやすいと思います。

つまり、その作家のファンは新しく出版した本についてほぼ無条件で購入します。変な話、中身が何であれ少なくとも信用力が高い状態であればほぼ間違いなく購入します。もちろんその中身が期待を裏切る内容であれば信用を失ってしまうので、その作家さんは期待を裏切ることがないように必死でクオリティの高いものを創ろうとします。それにより、期待に応えることができた人については引き続き信用力の高い状態が続きますし、残念ながら期待を越えられなければ信用は落ちることになり次回の購入は控えることになるかもしれません。(このような信用の再生産については後日書きます。)

 

ただ、一つ言えることは中身がどんなに低クオリティであっても信用力が高ければ一度は信用力が発揮し購入につながるということです。

 

これを踏まえればなんとなく信用の換金化が成立するのかがわかると思います。

 

続きは後日書きます。